
みなさんはベルサイユ宮殿に行ったことはあるでしょうか。
管理人は一度だけ行ったことがありますが、特にタイムトラベルをする事もなく普通に綺麗な場所では当たりもポカポカしていて暖かかったので、また行きたいなという印象があります。(庭園の方は行ってないです。)
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ヴェルサイユ宮殿でのタイムトラベル?
オックスフォード大学のカレッジの校長を前後して務めたシャーロット・モバリーとエリナー・ジョーダンという2人の未婚夫人の著書『ある冒険』(1911年)に書いてある不思議な経験のお話です。
1901年8月10日
1901年、ヴェルサイユのトリアノン公園を二人は訪れ、そこで18世紀の衣装を身につけた沢山の人に出会った。
そして「二人の庭師」がシャーロットとエリナーに道順を教えてくれたり、シャーロットたちを追い越した男が通行禁止の道について警告をしてくれたりした。
その後も、二人は絵を描いている古い衣装な女性の前を横切るが、これを見たのはシャーロットだけであった。
二人は狐に騙された感じをしばらく味わい続けた。
それからプティトリアノンにも行き遠くから結婚式の行列を眺め、お茶のためにホテルへ戻る。
一週間後
一週間後、シャーロットがこの事を手紙に書いているとエリナーが「何か変だとは思わない?」と口を開いた。
二人はお互いの日記を見せ合い、「あの日の事は何かがおかしい」と結論付けた。
1902年1月、シャーロットはヴェルサイユに
翌年1月、冷たい雨が降る午後に今度はシャーロットは一人でヴェルサイユに向かった。
再び彼女は気味の悪さを感じた。
「なにか線をまたいで、ある影響力が働いている円の中に突然身を置いたような感じでした。」
すると今度は、明るい色のチュニック服を着て頭巾を頭に乗せた二人の労働者が荷車にものを積んでいる。
一秒間ほど目をそらして再び見ると彼らの姿は消えていた。
さらにドレスが擦れ合う音や人の声も聞こえたが、彼女の目には誰も映らなかった。
1904年二人で再訪
1904年、二人が再びヴェルサイユの庭園に訪れると、雰囲気がガラッと変わっていたのだ。
樹々もない。丸木橋も。滝も。「あずまや」もである。
これで二人は「3年前に見たものは、ルイ16世とマリー・アントワネット王妃の頃のこの場所に違いない」と確信した。
文献調査などでの時代確認
その後二人は文献調査に明け暮れ、自分たちの見たものに以下のような結論を出し、著書に書いたのだ。
・見たものは、フランス革命直前の実際の人々の姿。
・シャーロットが見た「絵を描いている」女性はマリー・アントワネット王妃。
共著出版後
二人の本が世に出ると、ヴェルサイユ公園を見下ろす家に住んだことのある3人の読者から連絡が来た。
「私たちも同じ事を繰り返し経験しました。そのうち慣れっこになって注意を払う事をやめたほどです」と。
時は下り1938年
1938年、心霊調査協会のメンバーJ・E・スタージ・ホワイティングがシャーロットとエリナーの著書を猛批判する。
彼は現場で現地検証を行い、以下のように主張をした。
「二人は最初の訪問時にはまだ存在していた道を通ったが、三年後の再訪時にはその場所が分からずそこに行っていない」
一方、1965年
1965年、フィリップ・ジュリアン著の『ロベール・ド・モンテスキュー伯爵』の伝記では、1890年代にヴェルサイユの近くに屋敷を構え、よく公園で1日をすごした時のことが書かれている。
ジュリアンはシャーロットとエリナーが見たものを「おそらくあの幽霊は、女羊飼いの衣装でパーティの余興のリハーサルをしていたモンテスキュー伯爵の女友達のグレフュル嬢だろう」とコメントしていた。
共著が絶版処分に
ジュリアンの発言により、シャーロットとエリナーの著作の遺産管理人のジョーン・エヴァンス夫人は納得をし『ある冒険』を絶版処分にすることに決める。
残る疑問
しかし、いずれの推理も二人に起こった出来事の全てを説明しきれてはいなかった。
スタージ・ホワイティングが検証時に言及していなかった地形についてもシャーロットは述べており、
「守衛小屋から眺めると全てが変だった。私たちは庭師小屋へ直接辿り着いたが、1901年にエリナーが見た小屋とは外見がまるで違った。庭師小屋の向こうには、手入れの行き届いた美しい花壇や芝生の庭があった。
これは私たちが前回管理人と出会った場所とは様変わりだった。そして、三年前の道を長い時間かけて探したが痕跡すらも見つからなかった。」
とこのような記述がしばらく続くのだ。
そうするとシャーロットたちが誇張しているか、スタージ・ホワイティングが間違っているかのどちらかになる。
一方、ジュリアンの主張はお門違い
ジュリアンの主張は日付に明らかな混乱があるため、考慮の必要がない。
二人がヴェルサイユを訪れたのは1901年だか、モンテスキュー伯は1894年にはヴェルサイユからヌィイーへ引っ越しているのだ。
心霊調査史に残る事件に
以上のような経緯で、このヴェルサイユの事件は近代以降の心霊調査の歴史で最も理解の困難なケースの一つとして残ることになったのであった。